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2026.05.07
50年前父が建てた床屋を美容室に建て替え新たな挑戦
生まれ育った実家
50年前、父母はここにまだ3歳の私を連れて、ここ犬山市五郎丸に引っ越してきて
『一龍軒』という自宅軒理髪店をオープンしました。

引っ越してきた頃は、まだ犬山中央病院も建っておらず、目の前は田んぼと桃畑でした。
子供の頃に飼っていた芝犬のランと、よくこのあたりを散歩していました。
月日が経ち、高校を卒業し私は美容師になりました。
「お店は継いでくれんか?」
と父の髪をカットしている時、たまに聞かれた事がありましたが、
私は勤めていた美容室も楽しかったのと美容室の幹部になり責任もあったので、
そうだねぇと、いつも適当にはぐらかしていました。
しだいに父も継いでくれとは言わなくなり、代わりに「独立しないのか?」と聞いてくるようになりました。
それでもやはり 曖昧な返事をするばかりでした。
家族もでき、持ち家も手に入れたばかりで
なかなか自分で美容室を開業する気持ちにはなれませんでした。
そして父も歳をとり、床屋も引退し、そして享年76歳で亡くなりました。
今となっては、もっと早く開業していればと思う事もありましたが
富山での生活の中で新しい出会いもあり
今までずっと燻ってきた思いもあり
この度、父と同じ犬山のこの場所でプライベートサロンを開業する事となりました。


解体の日は犬山には来れなかったので、写真だけ送ってもらいました。
やはり子供の頃から育った家が壊されるのは、すごく悲しいですね。

何も無くなった実家を見て
やっとこれから父と同じように挑戦が始まるんだと実感しました。
50年前、父母はここにまだ3歳の私を連れて、ここ犬山市五郎丸に引っ越してきて
『一龍軒』という自宅軒理髪店をオープンしました。

引っ越してきた頃は、まだ犬山中央病院も建っておらず、目の前は田んぼと桃畑でした。
子供の頃に飼っていた芝犬のランと、よくこのあたりを散歩していました。
月日が経ち、高校を卒業し私は美容師になりました。
「お店は継いでくれんか?」
と父の髪をカットしている時、たまに聞かれた事がありましたが、
私は勤めていた美容室も楽しかったのと美容室の幹部になり責任もあったので、
そうだねぇと、いつも適当にはぐらかしていました。
しだいに父も継いでくれとは言わなくなり、代わりに「独立しないのか?」と聞いてくるようになりました。
それでもやはり 曖昧な返事をするばかりでした。
家族もでき、持ち家も手に入れたばかりで
なかなか自分で美容室を開業する気持ちにはなれませんでした。
そして父も歳をとり、床屋も引退し、そして享年76歳で亡くなりました。
今となっては、もっと早く開業していればと思う事もありましたが
富山での生活の中で新しい出会いもあり
今までずっと燻ってきた思いもあり
この度、父と同じ犬山のこの場所でプライベートサロンを開業する事となりました。
解体の日は犬山には来れなかったので、写真だけ送ってもらいました。
やはり子供の頃から育った家が壊されるのは、すごく悲しいですね。
何も無くなった実家を見て
やっとこれから父と同じように挑戦が始まるんだと実感しました。